2016年5月5日木曜日

童謡「背くらべ」の背景

今日、五月五日は子どもの日です。

「こいのぼり」の他に、この歌が頭に浮かびます。

   背くらべ作詞:海野 厚、作曲:中山晋平

  1、柱のきずは おととしの
   五月五日の 背くらべ
   ちまきたべたべ 兄さんが
   はかってくれた 背のたけ
   きのうくらべりゃ なんのこと
   やっと羽織の ひものたけ

  2、柱にもたれりゃ すぐ見える
   遠いお山も  背くらべ
   雲の上まで 顔だして
   てんでに背のびしていても
   雪の帽子を ぬいでさえ
   一はやっぱり 富士の山

この歌は、大正8年(1919)に発表されました。
よく昔歌いましたよね。

しかし、1番の歌詞をよく見ると不可解な部分が・・・

「なぜおととしなの?」
「去年でもいいのに・・・」
「やっと羽織のひものたけってどういう意味?」

と思いませんか?

調べてみたら、
この歌は作詞家の海野厚の実話みたいです。

厚は7人兄弟の長兄ですので、
この歌の「兄さん」は厚本人(当時23歳)です。
背をはかってもらったのは、
末弟の春樹(6歳)だと推定されます。
17歳の年下の弟です。

その厚は早稲田大学に進学し、
作家活動をしていました。
なので、実家にいなくて、「背をはかる」のが
1年間飛んだみたいです。(病気説もあります)

2年目に帰郷し、
柱にきずをつけて弟の背をはかったら、

「やっと自分の羽織のひもの部分まで伸びたね~」

って解釈できます。

もちろん、弟ではなく妹説とか
その他の解釈もあるそうです。

う~ん、ちょっと納得。

で、2番ですが、
大人になって、柱にもたれると
山々が見える。
きずをつけた柱かどうかは不明。

山々がそれぞれ背くらべしているけど、

「やっぱ富士山が一番だよね~」

って、言ってます。
厚は静岡県出身ですから、
富士山には愛着もひとしおでしょう。

わたしは、この2番の歌詞から、

「自分も富士山みたいになれたらなぁ。」

という夢があったのだと思います。

その後の海野厚ですが、
「赤い鳥」に投稿した童謡が
北原白秋に評価されました。

しかし、残念ながら、
28歳の若さで亡くなってしまいました。
肺結核だったようです。
「背くらべ」の5年後ですね。

厚は、「寿命くらべ」では
富士山になれませんでしたが、

「おもちゃのマーチ」(やっとこやっとこくりだした~)
などの歌を残しました。

もっと長生きしてほしかったですね。



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